考えるのがすきです

日々思ったこと、主に雑誌コラム(dマガジン様様)、漫画から

GINZAと雑誌とわたし

書こう書こうと思って、時間が経ちます。。。。

 

コンテンツは沢山ある、

dマガジンも配信この期間にいくつもあったし。

 

宇多田ヒカルの幸せになろう聴きながら

書き込みます。

(前回記事参照。)

いやーどんだけ聴いてるねんっていう。

夜は決まって聴いてるんだけど、

聴いてると心が穏やかになってネガティブっていうか、

燃える気持ちにならないのよね。

rihanna 聴いて燃える気持ちで書きます。

スペル合っているのか心配。。。

 

 

 

 

今回はGINZAについて!

 

 

GINZA(ギンザ) 2019年2月号 [HELLO,WORLD! 今日、なに着てる?]

GINZA(ギンザ) 2019年2月号 [HELLO,WORLD! 今日、なに着てる?]

 

 

 

インスタ覗くとストーリーに必ず上がっているGINZA。

ストーリーがね、

本当に無料で配信していいの?!ってくらい

濃密なのが肝。

 

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こちらが1月16日現在のストーリーですが、

本当にたくさん載ってる!

美容から占い、読み応えのあるコラムまで!

(これで私は感想がいくつ書けるのかっていう。笑)

 

 

インスタは @ginzamagazine

webはこちら。https://ginzamag.com

 

今雑誌って、Webコンテンツの量がものすごい。

Webページ行けば載っているのはもちろんのこと、

少し前に流行ったキュレーションサイトにも

記事が転載されて、

内容がすぐ手に取れる。

これって自分の小さい頃からしたら本当に考えられない。

 

 

昔から、母親が寝る前に読んでいたのは『クロワッサン』。

蛍光灯の下、シーツは白で、

母親の匂いのもとで隣で読んでた。

たまにエッセとか主婦ものもあったっけ。

 

小学校のころ、一緒に寝ていた時はその時間がいつもあって、

そこで私はクロワッサン読んでた。

 

ファッションや健康記事はミセス向けだから読まなかったけど、

掃除とか、禅についてとか、生き方とかは読んでた気がする。

ここはこう掃除するといい、とか、

収納は隙間を使うとか、野菜の皮もしっかり調理できるとか。

 

瀬戸内寂聴佐伯チズを知ったのもこの頃だったなあ。

今もまだご健康でいらっしゃって。

きっと生き方がパワフルなんでしょうなあ。

一度お会いしてみたい。

 

 

それから私も雑誌を読むようになった。

近くのお姉さんが読んでたプチバースディから始まって、

ピチレモンを経てセブンティーン。

桐谷美玲ちゃんが出たての頃で、

よく切り抜いて、ノートにコラージュしてたっけ。

 

そうやって、一冊を読んで、読んで、をしていたので、

今は本当に情報化社会だなと思う。

すぐスマホで検索すれば、

雑誌のたくさんの記事が読めるんだもの。

日々たくさんの情報に囲まれて、

それに対して思うこと、考えさせることもたくさんあって、

それで1日を過ごしているんだけども。。

現実に生きてない女代表だ。笑

 

 

本当は読み放題なんてしないで、

きちんと買ったり、

声を届けたりすべきなんだけどね。

その一言がコンテンツの存続に関わったりもするし。

 

今、雑誌を大切にしている人はどれくらいいるんだろう。

すぐWebで読めてしまうから、

一冊一冊読み込んでいる人は本当に大事な読者様だよね。

 

 

一方でwebへの参画も若い人を取り込むのに必要。

私が就活してたころは、

雑誌のWeb事業はまだ新規部署みたいな紹介が多かったけど、

数年前と比べて、圧倒的にコンテンツが増えていて。

GINZA見ていても思うけど、Webコンテンツの量が圧倒的に増えた。

 

 

インスタのストーリーとかはタップですぐ見れちゃうし、

すごく気軽。

気軽に見れる分、やはり受け身になりがちだから、

昔のように自分の骨となり肉となるよう、

しっかり読み込んで行きたいな。

 

でもほんと、Webで気軽に受け取れる文章も、

誰かがきちんとシステム化して、推敲してあげているはずだけど、

それを忘れてしまうよね、

圧倒的なコンテンツ量に見合えている自分にはなれてないし。。。

処理速度がパソコンと同じくらいならいいのに。。。

 

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なるべく感想記事たくさん書いていこうと思います。

宇多田ヒカル 幸せになろう

 

宇多田ヒカルに今ハマっている。

 

 

っていうのも

Spotify premiumの入会キャンペーンで

2018年12月までに入会で安く聴き放題してたんだけど、

https://www.spotifypremium.jp/?utm_source=jp-ja_brand_contextual_text&utm_medium=paidsearch&utm_campaign=alwayson_apac_jp_performancemarketing_core_brand+contextual+text+exact+jp-ja+google&gclid=EAIaIQobChMIoIyf2f3H3wIVg7aWCh2f1AqrEAAYASAAEgII0PD_BwE&gclsrc=aw.ds&utm_expid=.pv95aLFUSsqO4q8-mvaO5Q.1&utm_referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2F

 

そこで宇多田ヒカルを聴き始めて、最近ずっとリピート。

小学生の頃、

親がアルバムを買ってよく車で聞いてたから、

元々好きなのは好き。

Spotifyで流し聴きをしていたら

ビビビッときてしまったのが【幸せになろう】

 

 

Deep River

Deep River

 

 

 

 

メロディから音楽を好きになることが多い私。

音楽系の用語がわからないので、自分なりに書きとめとく。

 

元々、切な系のメロディに惹かれやすいので、

Spotifyで聞いてて、こ、これは・・・と!

 

 

まず “幸せになろう” ってタイトルだし、

歌詞も幸せになろうって言葉が何度も出てくるのに、

ハッピーいぇいいぇいブンブンうぉううぉう

って感じじゃないのね、まっっっっっっっったく!

 

ここが宇多田ヒカル節と言いますか、どこか切なげ(暗め)メロディ。

もうね、そのギャップに魅了されました。。。

 

 

私、曲が好きになったら、

「〇〇(曲名) 考察」でググるのと、

「△△(歌手名) 〇〇(曲名)」でTwitter検索は

毎回毎回やってしまう・・・!(漫画やドラマ、映画などもやっちゃう)

 

ブログやインタビュー、Twitter感想など見て、

自分の考えを深めていくのが好き。情報集め大好き。

(鍵アカにしていない方、いつも感謝無限大です)

 

しかしこの曲はTwitterではボチボチ感想あっても、

webではあまり出てこない!!

なぜ?これは自分で深めろということなのか・・・

ということで!

先程からずっとリピート、ありがとうSpotify様様。

 

 

 

 

んでこれ、結論なんですけど、

宇多田ヒカル個人の)幸せ、ではなく、

(オフィシャルな)幸せになろうと、もがいてみる曲なのではないかと。

ずっと聞いてると、まるで強迫観念かのように、

幸せになろうとしている・言い聞かせてる人の歌に聞こえてくる。

始まりは鳥のさえずりでも聞こえそうな爽やかな感じなのに、

サビから憂いが見え始める〜

 

 

世間的な女性の幸せって、

素敵な家庭を築くことや、結婚、出産、などが出てくるかな、一般的に。

これが

 

♪〜《 幸せになろう オフィシャルな野望》

 

official(=公の、公認の、公式の…etc)部分かと思われます。

2番のサビでは《当然の野望》になってて、

そこもまた結婚=幸せっていうオンナに生まれた感がいい

 

 

生きる上での自分の確立された居場所って大事。

親元を離れて、社会に立ってると、

何か絶対的なものに縋りたくなる。よね?

それがいわゆる結婚や出産だと思ってしまうというか。

もちろん、それが絶対的な幸せだなんて信じてるわけじゃないけど、

なにかに属する的な意味合いも強いのかも。

安心するんだよね。

 

 

で、冒頭に

 

♪〜《何も聞かずに続けて これが「しあわせ」ならもっと欲しい》

 

って歌ってるように、

これがしあわせなら、ってことは

本人にも自身の幸せが確立されてないんだと思う。

 

で、“これ”の指し示すものが

officialなしあわせ、

一般的に言われるしあわせというものだと思う

 

それを得た感覚(結婚すること)が、

公的にしあわせ(と言われているもの)ならば

もっとしあわせを味わってみたい、と思ってる感じがする。

 

この人と添い遂げたいっていう結婚じゃなくて、

公的に幸せといわれる結婚をするから、私もきっとしあわせになれる

っていう感覚な、イメージ。

付き合う時もさ、好きなこの人じゃない付き合えない!派と、

試しに付き合ってみたら幸せだった派といるじゃん。

例えとして合ってるのかわからないけど

 

 

サビでも《恋人になろう 手をつないで歩こう》ってさ、

恋人から結婚って感じじゃなさげなんだよな〜。

 

でも多分宇多田さんはさ、

もちろん結婚も幸せになれることだと思うんだけど、

シンガーソングライターだから

自分の思いをのせた歌を作ることで生きているというか、心を発散しているというか、

クリエイター基質が生きる軸になってると思うのよ。

 

だから考え方が

幸せになりたい欲求よりも、苦しみを取り除きたい欲求のほうが強いんだと思うのよね

(はい出ました、僕等がいた矢野思考ですテストに出ます)

 

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 だから結婚とかの公的な幸せより、

自分の感情を解き放つことのできる(苦しみを発散できる)作曲活動に邁進して生きてきたのだろうし、

いざ結婚ってなった時に、結婚=幸せになることと捉えて、

「公的にいう幸せ」に成ろうと決心しているのではないかな。

 

 

 

その公的な幸せは、自分の苦しみを発散することとは少し違っている

 

個人的に苦しみを除くはマイナスからゼロへ、

幸せになるはゼロからプラスへのイメージ。

ゼロが起点、通常時というイメージね。

 

この理論でいくと、

マイナスからプラスへ移行しなきゃいけないから、

作曲がゼロへ戻るイメージだとすると、

そこからさらにプラスへ行くには、

さらに頑張りが必要な感じだよね。

 

自分との向き合いでの作曲活動でなく、

誰かと向き合うことで得られる、

結婚という仕組みや、生活。

自分軸でなく、対他人軸になるよう

メンタル面でも頑張らなきゃいけない。

 

公的な幸せを得るための、頑張るための、

幸せになろうという気持ちなんじゃないかな。

 

 

 

でも個人的に、幸せって、

幸せになろうとしてなるっていうより、

気づいたら幸せになっている

っていう状態のことな気がする。

幸せになろう!って思って努力することって、

先が見えないというかけっこうキツイような気がしない?

 

痩せようとか、年収あげようとか、

目標達成への努力は達成感もあるけど、

最初に書いたように、本人も何が自身の幸せなのか確立できてないとしたら、

先の見えない戦い…

 

 

本人もどこかでその部分を気づいているフシがあって、

それが2番のサビの

 

♪〜《幸せになろう あくまでも希望 現実は意外と…》

 

に繋がっているのではないでしょうか。

どこか達観している感じ。

幸せになれるのか不安。

自分が公的な幸せに染まれるのか不安。

 

 

結婚も運とかっていうし、もしかしたら、あなたとなら幸せに生きていけるかもしれない、

そんな希望的観測が2番の

 

♪〜《不確かな世相 だからこそあなたと》

《君が手を貸してくれたなら 幸せになろう》

 

部分なんじゃないかなって。

 

私は作曲活動してたい、

自分軸で考えて色々消化させていきたい、けど、

幸せにもなってみたい、幸せになろうともがく、最後は強迫観念、ってかんじなのかなって。

本人のことも、結婚の話も詳しくは知らないから、

こういう意味かな?って思いました〜。

 

 

 

 

 

 

でも私個人的にこれ最初に聞いた時は

宇多田さんから離れちゃうけど、イメージは夏雪ランデブーだったな。

 

夏雪ランデブー コミック 全4巻 完結セット (Feelコミックス)

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主人公(葉月くん)が恋する未亡人(六花ちゃん)とその夫で幽霊(島尾くん)が織りなす物語なんだけど、

その六花ちゃんが、島尾くんが病気なのに結婚しようとする気持ちみたいだなって思った。

あと未亡人になってからの毎日を乗り越えるイメージ。

 

 

♪〜《幸せになろう オフィシャルな野望》

《跳び箱の向こう 両手でしっかりと》

 

も、病気を奇跡的に回復した島尾くんと暮らしたいっていう、

結婚したなら公的な野望であり願いだし、

跳び箱のように障害を飛び越えたいって意味にとれるし。

 

♪〜《幸せになろう 悲しみは利用》

《思い出は昨日 明日は今日よりも》

 

とかはもう、未亡人になってからも奮い立たせてる感じと重なる!!!

 

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♪〜《約束をしよう 夜通し話そう 私達はずっと…》 

 

 とかも死んだ後の話をする生前の島尾くんとのやりとりって感じだし!!

 

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病気で余命が短いのに結婚するって、

今まで述べてきたかんじとは違うけど、決意のある結婚だよね。

後悔しない、とか、それでも幸せになろうとする覚悟が、この歌詞と重なるぅう。

 

該当する箇所を探そうとチラッと漫画読んだら、

やっぱり死生観とか、遺される者と遺して逝く者の気持ちとか

どっちも共感できて涙腺が・・・。

でも、やっぱり、生きてるっていうのは常に変化していくことで、

こう決めた!ってことが変化したりすることが救いにもなるんだなって思う。

 

 

 

 

 

私は、結婚できてハッピー!みたいな、結婚式でよく流れる歌よりも、

宇多田ヒカルの “幸せになろう” の方が共感できてすきだなぁ。

 

この人と添い遂げようっていう覚悟の部分が強いというか、

不安が多いけど幸せになろう、っていう決意を抱いて、

自分に幸せになろうって言い聞かせてる感じが堪らん。

 

 

人生不安だけど、

誰も自分の人生の責任とれないし、

幸せになるのは難しいけど、

まず幸せってなんだろうだけど。。

 

宇多田ヒカルのうたを聴いてると救いがある気がします。

 

 

文字に起こすこと

初めてブログを書く!

こんな感じでいいのかな・・・?

 

今日Twitterを遡ってたら、

(遡るって漢字書けないって今思った。スマホ脳で生きすぎていて、よくない)

学生時代の呟きめちゃくちゃ出てきて、

下痢に困ってるとか、友達のアホみたいな写真とか言葉とか、

真っ直ぐ呟いてて驚いた!

一番驚いたのは、友達のこと、塩対応とかって呟いてコメント本人から貰ってたこと・・・

とんでもない子どもだ、ハタチ超えてんのにね

ごめんなさい。

 

 

でもそんな日々の呟きがたくさん出てきて、

絵文字でたくさん装飾されてて、

リズム感もTHE☆呟きってスタンスで。

私めちゃくちゃ人生楽しそうな人だなって客観しちゃった。

 

昔の楽しそうな写真みて、

あの頃には戻れないなって考えてしまって、

マイナス思考ぅぅぅーーーとかはあったけど、

文字としてその時の自分の考えに触れて

元気もらえるなんて思わなかった!

 

 

 

働き始めてから、バカみたいにマイナスに物事を捉えがちだったし、

一年目は文字が読めなくなったり(純粋に本や漫画が楽しめなかった)、

好きなことが好きじゃなくなるっていうのかな、無関心になる現象が出て、

はっきり言ってめちゃくちゃ鬱っぽかったけど・・・。

 

 

 

この現象めちゃ辛いんだよ!

まずねー、現実で嫌なことがあっても、何も発散できない!

私は多分昔から、そういうことで発散したし、1人でもコンテンツで楽しめてきた人間だから、

考えようとするほど頭にモヤがかかるような、そんな事態は初めてで、

友達と会って笑ってても、心の底から笑えないというか、

頭にモヤのかかった状態で笑ってるから、

今笑えてるかな?とか、他のことに集中してしまうんだよね。

 

それなのに会う友達は、いつも楽しそうとか言ってくれるから、

笑えているんだなって、自分の表情を悟られてないことに安心したり、

そして場の空気壊してないな?って思う

反面、

誰も分かってくれないんだなって思ってしまったり、

とーにかく辛かった!

 

 

この現象も一部だし、もっとほかにも辛いな、嫌だなって思うことはあったけど、

文字に起こせるほどでない感情のままといいますか、

多分心のどこかに沈殿しているので、いつか文章に起こして “昇華” しようと思います。

心理学的専門用語だ、なんか頭良さげ〜〜。

 

 

今はある程度落ち着いて、

昔の自分を客観視、とまで言ってしまっていいのかわからないけど、

俯瞰的に見ることができるようになりました。

パチパチ

 

 

そして楽しいことで溢れてた自分無敵キラキラすぎて、

こりゃ夢だけで食べていけるって錯覚するわなって、

ある意味、寛容できたというか、

(上手い言葉が思いつかないです)

一回りして自分が見れるようになった!

 

まあ、見れるようになっただけで成長はできてないけど、

もう甘いまま生きていかないと自己否定になっちゃって辛くなるので、

そういう自分を認めて、

その方向でどう生きるか、選択していくかが必要だなって思いました。

 

 

 

この話、簡単にいうと、

昔の自分の呟きに元気もらったって話なんだけど、

この話をお母様にしたら、

「あなたにとって文字は大切なんだね」

って言ってもらえて、なんか腑に落ちた。

 

 

社会人になってから言われた嫌な言葉、嫌な気持ち、

こう言われてこう思ったって気持ち、

ノートにとってあって、

それを読むことで、今の現状がその時よりいいのか判断してる

ということを前からやっていたので、

大切なんだねって言ってもらえて、そうなのかもって思った。

 

 

だって周りのみんなで!

文字に起こしてる人いないもんね!!?

みんなどうやって生きてるんだ?

どうやって自分の考えを纏めてるんだろう。

言葉にならない感情をどう整理してるの?

 

 

感情人間なので、理由があるからこう思う、ではないんだよね。

こう思う、その理由はなんだろうって、

いつも答え探ししているというか、

頭はいつもフルスロットルで、いろんな考えをしていて、

それを掬い上げないと自分の生き方がただのわがままに映るというか、

脈絡の無いままいろいろ考える・思っちゃうから、

それは他人の目からは迷惑に思われることの方が多くて、

だから自分の言葉で自分の考えを正当化?一本化?するために考察しまくってるんだよね。

多分子供の頃のまま頭が止まってるんだと思うけど・・・。

 

 

そもそもみんなそんなことしなくても生きていけるのかな、

他人の人生生きてみたいなー

こんな雑念をみんな掬わないのかな

 

 

 

 

 

でも私には文字が多分大事なんだと思う。

 

友達と話している時も、

どれくらい伝わっているのかなとかたまに思う。

これはみんな思うことなんだろうけど、

この人には伝わっている!って思えるって

結局自分の判断なんだよね、

逆立ちしても他人の心は見えないし、

笑顔で共感してくれても、心はウゼーって思っているかもだし。

 

人と話してても、結局自分がその人にどれだけ心を許せているかで

この人には伝わってる、って自分で思える尺度は変わる気がする。

もちろん向こうの距離感も大事なんだけどさ。

 

 

最近宇多田ヒカルにはまってて、

インタビューとか読み漁ってるんだけど、

結局生きるって自分の主観なんだよね、

常識の範囲内とかも、

時代や住んでる場所、置かれてる境遇で変わるし。

 

でも人と人は分かり合えない、でも分かり合いたい

みたいなことが書かれててて、

なるほどなって思った。

結局他人との関係も自分の考えありきというか、

どうしても他人って自分のものさしとかバイアス(って言うの?)で

測ってしまうし、

測らないとコミニュケーションは取れないし、つまり自分の主観が大事なのでは?って思う。

 

 

その自分を明確にするために、

私には文字が必要だし、

自分の気持ちを書き起こすことも多分必要だ

 

 

 

ってことで、いつも何かを考察している、考えている、なるほどなって思っている、

それぞれのことについて自由に書いていきたいなと思います。

 

文章の構造はともかく、

昔から文字に起こすのは結構得意。作文とか感想文とか。

ウケは狙えないからなにか賞とった、とかはないけどさ〜。

卒論も意味わかんない感じで終わっちゃったし・・・(先生卒業させてくださってありがとうございます)

 

この記念すべき初めてのブログも、

書いてみたら筆が止まらなくなってる自分がいる(!!)

 

 

他人とは分かり合えないけど、

自分の作ったこの世界観でなら、

多分自分を肯定できるというか、自由に自分に救いの手が差し伸べられるというか。

うーん、うまく言えないけど、

このことが自分の人生の何かに作用してくれればいいなと思ってます。

 

今まで誰かを頼りに生きてきたけど、

誰かにちゃんと自分の言葉で伝えられる関係性も持っている今、

(そういう友達作れって言ってくれた友達、本当ありがとう)

自分で自分の世界観を構築して、

自分の感情を自分で処理できるようになればいいなと思います。

 

さっき言ってた昇華だね、ちょっと今年は挑戦してみようと思います。